2007年02月28日

スーツ買いました

おはようございます。朝一番の小原沢です。

お仕事スーツを2着、買いました。

ここ8年間は、制服のある職場や、作業場の仕事が続いていたので、必要もなくきましたが、この度めでたく、必要に迫られ、新調しました。

実は、昔の「お仕事スーツ」をタンスから引っ張り出してみたのですが、やはりNGで。型もサイズも…。
ジャケットが妙に長くて(なんだこれは?疑問符3つくらいつけたい長さ)、おまけにスカートが…タイトのミニ(!!!)よくこんなの穿いていたなあという感じです。
これではある意味萌え~です。

そんな昔のことだったのかと、しばし回想。
そのお気に入りのスーツ達を纏って颯爽と仕事をしていたのは、よくよく考えてみるともう12年くらい前なんですね。十分すぎるくらい昔ですね。
さすがにボディコン(死語?)ワンピースは出てきませんでしたが、超ロングの怪しいコートも見つかりました。実家のタンスは玉手箱です。

みんな、思い出とともに思い切って処分します。

さてさて。
新しいスーツ!はいいですね。気分がしゃきっとします。
足取りも軽やかに、今日も行ってまいりまーす。

2007年02月26日

採用コンサルタントへの道 その2

40歳で独立を決意して会社を飛び出し、「専業主夫」というなんともお気楽な身分で受験勉強を開始。

1年目は18年間のサラリーマン生活から開放された気の緩みもあり、自堕落な生活を送り惨敗。

次こそはと望んだ2年目は、直前模試の成績が予想以上の出来で気が緩んでしまったのか、最後のツメが甘く惜敗。

3年目になるとさすがに妻も黙ってはおらず「今度落ちたら離婚だー」とプレッシャーをかけられる毎日。

2度目の離婚はやっぱりマズイやろと一念発起し何とか3年目で合格。

ide塾の合格祝賀会でプロゼミの存在を知り6期生として参加。プロゼミを受け、

成功していらっしゃる先生方の話を聞くにつけ徐々に開業に対する思いが高まっていく。

そんなある日、以前お世話になった会社の役員に合格祝いだと飲みに誘っていただいた。

聞けば人材サービスの会社を経営しているとのこと。私はいま開業準備中だと告げると、

夏までまだ時間があるじゃないか、肩慣らしに会社を手伝って欲しいとのこと。

そんなご縁でいま契約社員として人材サービス会社にお世話になっています。

勤務登録も済ませ、就業規則の整備、社会保険の資格取得喪失手続き、給与計算など、

実務の経験を積むこともでき、最近では電子申請にもチャレンジしています。

自分の独自性をどこにおいて独立するのか、世の中にどんな価値を提供できるのか、

悩んだ挙句に自分の得意分野で勝負と、「採用コンサルタント」と名乗り、今の会社での契約が切れる

2007年8月に独立を目指すことなりました。

つづく


こんなブログも書いております。こちらもぜひご覧ください。

採用コンサルタント田中謙二のblog

大成功への道 vol.2

PSRブックマーカーの皆さん、こんにちは!

社会保険労務士の木村です。


このコラムがPSRに掲載された先週来、続々と大反響をいただいております。

特に、タイトルを「大成功への道」と銘打ったことについて、たくさんの(嘲笑的?)激励を頂戴しました。

お陰様でやる気満々です♪


さて、前回の続き、「法務教官」になれなかった理由から。

「法務教官」はもちろん国家公務員なので、公務員試験に合格しなければなりません。

法務教官試験と呼ばれ国家Ⅱ種相当の公務員試験です。

と、ここまでは僕も知っていましたが、一つだけ知らなかったことがありました。

それは、「受験申込み」をしなければならない、ということ…。


そして、それに気付いたのは試験当日。試験会場で試験官に教えてもらったのです。

試験官は受験票を忘れたんだと思っていろいろと調べてくれたのですが、そもそも申し込んでいないのだから、さすがの試験官も手の打ちようがありません。

僕はやむなく、試験を受けることなく試験会場を後にしたのでした。


こうして僕の「法務教官」への道は閉ざされました。22歳の初夏のことです。

今でも両親と当時の彼女(現在の奥様)は「試験に落ちた」と信じています。

「事実」を話せるようになるには、もう少し時間が必要かも知れません。


当時試験会場だった「合同庁舎」には「労働基準監督署」が入っているので、今ではある意味「馴染み」の場所になりましたが、このほろ苦い出来事をふと思い出しては感慨にふけるのです。

「俺も若かったな…」と。


当時は知るよしもありませんでしたが、これも社会保険労務士になるために必要な経験だったのでしょう。

社労士試験では、ちゃんと受験を申し込むことができたのですから。。。


~序章~ 完


次回からは、「社会保険労務士を目指すまで」を3回(?)にわたってお届けします。

乞うご期待!

2007年02月22日

自分がなぜ社労士を目指そうとしたのか

私が、社会保険労務士の資格を取得しようと思ったのは

平成13年の正月頃でした。

普通の方は、総務や人事の仕事の延長線で

資格取得を考えられる場合が多いのだろうと思いますが、

私の場合は全く違っていました。

その頃私は、銀行で個人富裕層向けの資産運用のアドバイザーをしていて

 社労士業務とは全く無縁の人間でした。

そしてこの頃、丁度、銀行に運用商品としての

「個人年金」の窓口販売が解禁されると言う事がアナウンスされ始めていました。

 私は、ファイナンシャルプランナー(CFP)の試験で

 年金の表面的な知識はかじったものの

 年金が何たるかも良く分かっていないような状況でした。

 (CFPは平成12年に取得済)

しかし、年金関連のビジネスは、これからの大きなビジネスに成長する事を予感し

勉強を始めたいと思うようになりました。

そこで、折角勉強するなら、民間資格より公的資格、

さらに、難易度は高ければ高い程価値が有ると思い、

社労士の資格を目指すことに決めたのです。

 試験勉強は、全くなじみの無い労働法から健康保険法など

 ゼロからの出発で1年目はあえなく不合格でしたが

 幸い2年目にして合格する事が出来ました。

 合格した頃は、銀行の内部で資格を活かして

年金のセミナー講師や、個人年金の販売に注力するつもりでしたが

(事務指定講習は翌年15年7月に完了)

平成16年からロースクールに通う事になり

平成16年6月に銀行を退職、平成16年11月には 社労士を開業登録すると言う

受験時代には考えてもいなかった方向に人生が走り出しました。

 前述のように、人事・総務の経験は皆無なので

 書類の作成ははっきり言って苦手で有ります。

 (もちろん出来ますが・・・)

一方で、金融や税務・法律の知識は

 他の社労士よりも格段のアドバンテージが有るので

その方面を中心に仕事を開拓しています。

また、銀行で培った人脈及び営業のノウハウも

実践では非常に役に立っています。

最近では、年金の知識と金融の知識が融合した

 「リタイアメント・プランニング」関係の講演を頼まれる事が増えています。

 これは、私が銀行員時代にイメージしていた路線でも有ります。

少子高齢化の進展で、団塊の世代が大量に定年を迎えています。

 そして、多額の退職金の運世方法や、 今後の年金について

悩みを持っていらっしゃる方は多数存在します。

 そういう意味では、資格取得を考えた頃の私の読みは

当たっていたのかなと思っています。

今後私は、当初の路線どおり 『金融・税務(CFP)+年金(社労士)』の

複合的知識を売りに 進んでく予定で有ります。

(今後弁護士になるかもしれませんが、それでもこの分野は業務として残して行く予定です)

社労士を、目指すきっかけは多岐にわたると思いますが

 私のような一風変わった社労士がいて、それでもうまく行っている事を

心の隅にでも留めて頂ければ幸いです。

私は、「仕事は一杯落ちているので心配ない。拾う能力、見つける能力を磨いてください。」と

合格者の方にいつも申し上げています。

工夫次第で、大きな可能性の広がる社労士業務、資格を取って開業してみて

本当に良かったと思っています。

この投稿が、僅かでも皆様の今後の業務のヒントになれば幸いです。 

 

大成功への道

PSRブックマーカーの皆さん、はじめまして!

社会保険労務士の木村です。

このたび、コラム「成功への道」の執筆者として大抜擢いただき

感謝の念で一杯です。。。

タイトルが「成功への道」ということなので

その趣旨に沿った内容にしていけるよう頑張りたいと思います。

以後、よろしくお願いします。

 

さて、やはり初めは自己紹介から入っていきたいところですが

男34歳ともなれば、そこそこ「過去」もあるので適当に割愛します。

ご了承ください。

現在は、名古屋にある法律事務所で事務局長として勤務しながら

その法律事務所の中で(一応)社会保険労務士として開業しています。

まずはそれまでの「軌跡」から。

 

名古屋市内の大学に4年間通った後、諸々の事情により自主退学し

その後1年間のフリーター生活を経て、現在も勤めている法律事務所に

弁護士業務の補助者として就職しました。もう10年も前のことです。

いわゆる「法律事務所の事務員」で、漫画「カバチタレ!」に出てくる

「田村勝弘」みたいな仕事です。(漫画ほど格好良いものではありませんが…)

元々は「法務教官」を目指していました。

「法務教官」とは、要するに少年院の先生です。

ドラマ「教師びんびん物語」(田原俊彦主演)を見て学校の先生に憧れていたところ

昔から大好きだったドラマ「ポニーテールはふり向かない」(伊藤かずえ主演)の影響から

「先生」+「不良」=「少年院の先生」…。

今考えても、非行少年の更生や社会復帰支援を担う職業を目指す動機がこれでは。。。

ところが(というよりは、やはり)、ひょんなことから

その「夢」は挫折に終わります。 …。

 

すでにコラムの趣旨から外れている気がしないでもないですが

続きはまた次回ということにしたいと思います。

皆さん、お楽しみに!?

 

小原沢由美子のおはログ 復活

マボロシのブログ「おはログ♪」がこんなところで復活です!

「おはログ♪」…それは社会保険労務士の試験に合格してから開業するまでの

悪戦苦闘をさらけ出していたむかしの私のブログです。

今回の「成功への道」では、引き続き、開業後の悪戦苦闘を綴っていけたら…

と思います。

 知っている方も知らなかった方もぜひご贔屓に。

 よろしくお願いいたします。

 

さて、第一回目ということで、ここまでの足跡を簡単に。

 

巷では映画も上映されておりますが、私もバブル世代の人間です。

でも実はソレに乗り損ねたといった方がしっくりきます…

短大を卒業後、なんとなく就職した会社が、

なぜか日本人だけではない、中国、イギリス、オランダ、フィリピンなど

 人種の坩堝で、カルチャーストレスとでもいうのでしょうか

 慣れない仕事と慣れないコミュニケーションに身体を壊し、あえなく退職…。

今振り返るとあの頃は青かった、もったいなかったと思います。

その後バブルの絶頂期にしばしひきこもり、 これではいかんと

学校事務や研究室の補助、派遣OLその他諸々を経て、 医療機関へ就職。

これも結婚、出産、親の介護が重なり、退職。 その間、性格も禍い?し

もう雇われるひとになるのはダメだ、と、 起業を考え、

選んだのが「社会保険労務士」だったわけです。

色々な職場で色々な働き方をしてきたことが私の強みになりました。

会社とそこで働く人々がお互いを信頼し、安心して生活できるように、

 また、これからは地域のことも考えて、皆が幸せに暮らせるように、

 本当に必要なものを一緒に考え、提供していく、 これが私の仕事です。天職です!

 

 …たぶん。

 

採用コンサルタントへの道

13年間「フロム・エー」の求人広告を売ってきた。

1987年、当時の編集長がフリーターなる言葉を創った。

プータローと世間からさげすまれていた若者に勇気と居場所を与え

自分の夢や目標を実現させるために

正社員以外の道を選択した若者を「フロム・エー」は応援した。

当時フリーターは間違いなくポジティブな意味で使われていた。

バブルが崩壊し雇用が急速に縮小、採用抑制の煽りを食らった2000年前後に

就職期を迎えた就職氷河期世代の多くは就職できず

やむなくフリーターとなって世に溢れていった。

「職業はフリーター」と胸を張っていた若者はいまや35歳を越え格差の象徴となった。

どうすればいい人材が採用できるのか。

就職の絶頂期と最悪期に一貫して採用に関わってきた間にノウハウをいっぱい学んだ。

求人広告を扱う上で労働基準法の知識は必須だったが

広告主(=求人企業)は驚くほど労基法に無知だった。

営業職として差別化するため法律の専門家という「肩書き」が欲しかった。

そんなとき社労士という資格を知った。

社労士の仕事を調べると独立が可能なこともわかった。

士業者は営業が苦手な人が多いのでは?という勝手な仮説と、

採用をキーワードに差別化すればそこそこいけるんじゃないかという甘い見通し。

そして、何よりも「自分でやりたい」という思いで独立を決意した。

開業失敗談 その1

千葉市で社労士事務所とFP会社を設立しました蒲島竜也と申します。

今後ともよろしくお願いいたします。

第一弾として開業成功談ならず開業失敗談から話を始めてみたいと思います。

 

それは今からほぼ1年ぐらい前の出来事です。

開業半年を経過したころで序々に顧問先も増えてきた頃でした。

ある異業種交流のパーティーに参加していた時に、転送にしていた携帯電話が鳴りました。

「A株式会社の総務を担当していますBと申します。

先生の看板を見てご相談したいので明日来社していただけないでしょうか」

という電話でした。A会社は私の事務所から100メートルも離れていない会社であり

従業員も100名弱の中堅企業です。

もちろんすぐに訪問の約束をしました。担当者の面談はスムーズに終了し

よければ社長に面談をということでした。

それから1ヶ月ほど後に社長面談となりました。

社長との面談もスムーズに終了して正直てごたえがあったと感じました。

そして最後に「手続はすべて自社でやりますので相談だけなのですが

顧問報酬はいくらぐらいでしょうか?」

との質問あり

「相談だけならば通常の顧問報酬の半分でいいです。」と値段を提示しました。

それから数日後に担当者の方から連絡をいただきました。

「先生、スポットでお願いします。」(驚)

先方はもう少し安い値段で考えていたようでした。

ちょっと調子に乗りすぎてしまったようでした。

決して安売りする必要はありませんが、巷には結構安いコンサル会社もあるようです。

皆様もお気をつけてください!!!